大豆の歴史を知ろう!原産地から日本に広がりを見せた年までを解説
大豆はいつ・どこから日本に伝わったのかを解説
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豆腐・醤油・納豆など、大豆の加工食品は現代の人なら「一度も食べたことがない」という方はあまりいないと思います。では、昔は一体どうだったのでしょうか。実は、大豆が今の日本で一般的に広まるまでには長い年月を経ており、ゆっくりと世に浸透していきました。今では身近なものとして親しまれている大豆ですが、歴史を辿ると気が遠くなるような前の時代から栽培され、食品として加工されるようになったルーツがありました。大豆の原産地はどこからなのか。どうやって日本に伝わり、広がりを見せていったのか。今回は大豆の歴史を紹介していきます。
目次
大豆の歴史を知る①原産地
大豆の原産地は、さまざまな説があります。1番有力な説は、紀元前2000年以前の中国だそうです。中国で広く栽培されていた大豆が朝鮮半島・東南アジアへと伝わり、各地域で栽培されていたものと考えられています。また遺跡・遺伝子調査の結果、各地域によって大豆の特徴がそれぞれ違っていることから、起源地は数多くあるともいわれています。
大豆の歴史を知る②初めて日本に伝わった年
大豆が日本に伝わったのは、約2000年前の弥生時代。中国から朝鮮半島・東南アジアへと伝わってきたことが始まりだといわれています。中国で盛んに大豆栽培が行われていたことから、日本でも同じように生育されていきました。この頃は「だいず」とは呼ばず、「おおまめ」と呼ばれていました。
奈良時代に入るとさらに中国との交流も盛んになり、味噌・醤油・豆腐・納豆などの加工方法が伝わるようになります。呼び方も「おおまめ」から「たとう」、「たとう」から仏教用語の「だいず」へと変化していきました。当時、大豆は貴重なものであったため、大々的には広められていませんでした。
平安時代になると、これまであまり記述のなかった大豆が医学書で登場し始めます。日本最古の医学書である「医心方(いしんぼう)」には、大豆の加工食品のこと、大豆と小豆・大豆粉・豚・イノシシとの食べ合わせについてや、禁止事項などが書かれてあります。また薬用・呪術などでも、大豆が活躍していたそうです。
大豆の歴史を知る③日本に広がりをみせた年
それまで大々的に広められていなかった大豆でしたが、鎌倉時代以降になると、どんどん栽培されるようになりました。平安時代では大豆の調理にかなり手を焼いていたのに対し、鎌倉時代では精進料理が伝わったことから、大豆に味噌・醤油で味付けするなど、調理方法にも大きく変化が見られるようになりました。
さらにこの頃の日本では、仏教の広がりもみせるようになります。仏教では肉を食べることが禁止されており、僧侶たちは栄養を補うために、たんぱく質が豊富な味噌・納豆・豆腐・高野豆腐・湯葉などの大豆の加工食品を食べるようになりました。また中国から伝わった製法の他、僧侶たちが作った大豆の加工食品もあります。他にも戦になると武将たちが味噌を作り、侍・農民たちの保存食・兵糧として食べられることもありました。
江戸時代に入ると大豆の加工食品である味噌・醤油・豆腐など、一般の人にも広がりを見せるようになります。そこから大正時代になると大豆の大量生産が始まるようになり、さまざまな加工食品が現代まで顔を出すようになるのです。
大豆の歴史は紀元前2000年以前から始まっていた
現代では大豆の加工食品などは、スーパーでも多く見かけるようになりました。しかし昔は今のようにすぐ広まることはなく、一部の人だけ大豆に触れる機会があったようですね。そこから徐々に大豆の加工食品が増えるようになり、調理法や製法にも変化を見せるようになります。今ではその変化を感じることは難しいですが、大豆食品を食べる際は、ぜひ一度歴史に思いを馳せながら食べてみてはいかがでしょうか。
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